人が物事を考えるときに大きくわけると2つの考え方がある。個(自分)を中心とする考えと、世(世間、他人、周りの人)を意識する考え。人はいつも何かを考え生きている。1日の中で考えない時間の方が少ない。朝、目を覚ました瞬間に「さぁ、起きよう。」「もう少し寝よう。」から始まり、寝る間際に「明日は何時に起きよう。」と考えながら眠りにつく。
どこかで聞いた話だが、それが本当かどうかを調べた事がないから嘘かも知れないが、犬や猫、多くの生き物は、死を意識する思考がないらしい。そもそも考えると言う思考がないらしい、だから現実に起こっていないことに不安になったり、恐怖を感じる事はないということらしい。もちろん現実に起こった出来事に対しては喜びや快感、不安や恐怖心を持つことはあるようだ。それは生きる知恵なのだろう。だから躾が出来るのだと思う。人はまだ起こってもいない事、体験した事がない事でも不安や恐怖を感じる。
不安や恐怖を感じるほとんどの原因は人の繋がりから発生する。だから自ずと何か考え決める時に世(世間、他人、周りの人)を意識する考えになる。周りの人の事を考え行動する事を時には調和と言うが、本当に調和を意識して考え行動しているだろうか。実はただ不安や恐怖をなるべく感じないように無難に生きているだけではないのだろうか。それならいっそ個(自分)を中心とする考えで生きてみる方が実は、大きな範囲で世と調和がとれているのではないだろうか。多くの人は年齢と共に世が小さくなる傾向が強い。それは過去に不安や恐怖を味わったからか、考えが世(世間、他人、周りの人)を意識しすぎているからだろう。
不安や恐怖を感じずに生きて行く方法がある。それは個(自分)を中心とする考えを持ち、行動していくこと。最初は暗闇を明かりもなく歩いているように感じるが、次第にいろいろな物が見えてくる、いままで見えなかった物が見えてくる。不安や恐怖ばかり感じている人から見ればそこはただの暗闇かも知れないが、実はそこが多くの人が憧れる場所だ。
毎月1日は、海沿いの小さな神社にお朔参りに行く。なぜお朔参りを始めたかと言うと、正月の元旦が1年の始まりなら、毎月1日は月の始まりだから。ただそれだけの理由。深い意味も考えもない。だから、手を合わせ何も願わない。それが月の始まり。10月1日も1年の中のただの1日に過ぎないが愛犬と妻と散歩しながら考える。
今日も幸せ。