9月1日に感じたこと。「人生に山も谷もない。」

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9月1日に感じたこと。「人生に山も谷もない。」

 

 

「おはよう!!!」と言いたくなる気持ちの良い朝。それが9月の始まり。日の出が少しづつ遅くなっている。いつもは5時に目を覚まし、歯を磨いて、朝食を食べ1日が始まる。今日は6時頃に起きる、歯を磨くのを忘れそうになったけど、朝ごはんを食べるのは忘れない。

 

 

朝食を食べ近所の小さな神社に向かい手を合わせる。海辺にぽつんと佇む小さな神社に海からの心地良い風が吹く。暑くも寒くもなく気持ちがいいそんな1日の始まり。1日が始まり、月も始まる。でも今年が始まってからは9ヶ月経つ。捉え方を変えれば1年の終わりに近づいている。

 

 

始まりと終わりの不思議な関係。

 

 

9月1日に感じたこと。「人生に山も谷もない。」

 

 

ふと空を見上げると、水色の空。そのまま海に目を下ろすと淡い青。つい数日の前の暴風と雨で防波堤付近のゴミが綺麗になくなっている。でもいつもの川に居るはずの亀の親子が居なくなっている。居なくなった後には大きな大木と大量のゴミ。

 

 

こっちが綺麗になれば、あっちが汚れる。

 

 

ランニングの行き帰り見る亀の親子が居ないとなんだか物悲しい。どこに行ったのだろうか。小さな神社でお朔参りを終え海沿いの小道を歩きながら思う。

 

 

9月1日に感じたこと。「人生に山も谷もない。」

 

 

海から小高い丘へ歩みを進める。汗をかきたくて愛犬と妻をほったらかしにして坂道を駆け上がる。芝のある公園につき軽くランニングをしながら愛犬と妻が追いつくのを待っている間に芝の状態を確認する。残念。朝露でビシャビシャだ。朝から濡れるのも嫌なのでさらに歩みを進める、小高い丘の頂上から見下ろすと稲が綺麗な緑から少しづつ黄色がかってきている。季節の変化を感じる。

 

 

愛犬と妻が追いついたので、愛犬のリードを握り、小高い丘から畑の間を駆け下りる。また妻をほったらかしにして先に行く。同じペースで歩いていたら疲れるからいつも先に行く。それがお互いにとってのいいバランス。バランスは保つものではなくて、自然に成り立つもの。バランスを合わせようとか、呼吸を合わせようとすると無理な力がかかり、あっと言う間にバランスは崩れる。

 

 

バランスを合わせない方がバランスはいい。

 

 

9月1日に感じたこと。「人生に山も谷もない。」

 

 

直線にして500mほどの距離を愛犬と走る。あれ!?いつもなら俺なんか追いつけないほどのスピードでぐんぐん走って行くのに今日は違う。ときどき後ろを振り返り、妻を気にする。健気な犬だ。そんな愛犬をぐいぐいひっぱり走る。そのうち本気を出し始める愛犬。こうなるともう勝てない。そして道の端っこで折り返す、そしたらさらに加速する愛犬。こちらに向かってくる妻が見えるのでその加速ぶりは凄い。俺の足は絡まってコケそう。いっその事リードを離してやろうかと思ったが後で後悔しそうなので必死に愛犬を追いかける。

 

 

追いかけられていたはずが、追いかけるはめに。

 

 

妻に近づきダイブするかと思いきや、何も無かったように歩き出す愛犬。健気さと自由気ままが交差する。そんな性格が可愛い。そして歩いて小さな家に帰る。小一時間の散歩は終わり、1日が始まる。

 

 

 

 

よく人生を山と谷に例える人がいる。他にもマラソンやサーフィンとかいろいろ例えたがる。言いたいことはわかる。「人生いい時もあれば上手くいかない時もある。」「人生辛い時もあれば喜びもある。」「人生の波に乗る。人生には大きな波、小さな波がある。」こんな事をいいたいのだと思う。

 

 

人生を何かに例えているうちはまだまだ甘い。そもそも人生が山と谷ならば、山がよくて谷が悪いと言うことになるのだろうか。それは違う。人生をマラソンに例えるとして、そもそもマラソンを走った事がある人の方が少ないので、その例えはわかり難いし、マラソンを1回しか走っ事がない人と、10回走った人では同じマラソンでも意味は大きく違う。俺は1度もマラソンを走った事がない。ましてやサーフィンの波と、人生の波が同じなら多くの人が、人生の波に乗れず失敗すると言うことになる。俺はサーフィンもした事がない。そう言えばウエイクボードはした事があるが、ウエイクボードの場合の波と、サーフィンの場合の波は同じなのだろうか。同じとすれば俺は波に乗れたことになるが、それはあくまでもウエイクボードの波だ。

 

 

最近はこう考えている。

 

 

そもそも人生にいい時も、悪い時もない。何かを始まればそれなりの課題や失敗はある。その何かが過去に自分がチャレンジした事がない事であればあるほど課題や失敗を乗り越えるまでに時間がかかる。何かがほとんどの人が行った事がない事ほど、課題や失敗も大きくなる。これ当たり前のこと。

 

 

課題や失敗を人生の悪い時と置き換えしてしまうと、次のチェレンジをする時に自分の心の中に大きな抵抗を残すことになる。そして新たなチャレンジ自体よりも、自分の心の中の抵抗を超えることの方が遥かに難しい課題となる、そしてチェレンジをしなくなると同時に、心の中の抵抗となった出来事を人生の中の悪い時と置き換えてしまう。

 

 

羽生 善治さんの本にこんな事が書かれているらしい。俺は読んだ事がないので全体像はわからないけど、チャレンジが苦手、臆病な人は読んでみると何かヒントがあるかも。

 

 

何かを上達したいと思った時、人は懸命に努力をするものですが、できるものとできないものがあります。持って生まれた先天的な才能でしょうか?
もちろん、それも関係しているでしょうが、もっとも大きな影響を与えているのは、個々の人が持っている“モノサシ”です。ここで言う“モノサシ”とは、自分が何かを習得するまでの基準タイムのこと。
人は生まれてから育っていく時に、たくさんの種類の“モノサシ”を身につけているのです。たとえば、歩けるようになるまでは一年、言葉がしゃべれるようになるのには二年、自転車に乗れるようになるまでは一カ月、裁縫がきちんとできるまでは二週間など、長いものから短いものまでたくさんあります。
そして、それを基準にして現在取り組んでいることに対して自己評価をしているのです。ホットケーキは三回で上手に焼けるようになったから、もう少し難しそうなマドレーヌは六、七回はかかるかな、などと考えているわけです。
そのような経験を重ねる中で長いモノサシをつくることは、とても有効となります。なぜなら、長いモノサシを持っていれば、少なくともその期間は不安になることが少ないからです。
たとえばフランス語を流暢に話せるようになるのに三年間かかったとします。次にスペイン語を勉強しようと思った時には三年は普通とも思えるはずですし、単語や文法で似ているところもあるので、二年くらいかなと見当をつけることができます。これがアラビア語だったら文字も異なるし、言語グループも異なるので五年はかかると思うかもしれません。
途中で挫折をしてしまう多くの場合は、能力がなくてではなく、迷ってしまって、いつまで続ければ成果が出るかわからなくなってしまってやめるのです。
また、これはやめる時にも実に有効と言えます。これはできるまでに最低でも十年はかかりそうだからやめようと判断するわけです。たとえば、私は小さい時にほんの少しだけピアノを習っていた時期がありました。しかし、今からショパンのピアノソナタをいくら練習しても、一生うまく弾けるようにはならないとわかるのでやらないわけです。
ですから、小さい時にどんな物事でもよいので、一つだけでもいいので長いモノサシができれば、ほかの物事に対峙した時に立ち向かっていけるのではないでしょうか。

 

本を見つけたブログ:「長いモノサシ」を持つことの重要性:羽生善治「迷いながら、強くなる」

 

 

 

 

 

人生に山も谷もない。あるのは未来か、昨日までの過去かそのどちらかだ。

 

 

 

 

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