7月1日 土曜日 晴れ 土曜日。間違えた相変わらず曜日感覚がない、今日は日曜日らしい。なんで未だに曜日を意識して暮らしいる人がいるのかが共感できない。今日が月曜日でも木曜日でも日曜日でも今日を暮らすという意味では同じはず。世界共通と言えば分、どの国にいても例えば12:35、15:35、21:35と分単位は同じ、どうでも良いかもしれない事だけど、俺は面白いなあと、感じる。日本が今、○○:35分なら世界のどの国も○○:35分らしい。その理由は諸説ありますが。いろいろあります。まぁ人間の過去なんて、だいたい不確かです。正解はないでしょうね。だから時間も気にせず生きたほうが暮らしやすいかも。
ところで「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説がある。説明すると長いしややこしいので気になる人はこちらを。
星の光はなぜ7年後のが、ボク達に見えるんですか?的な小学生に聞かれそうな疑問。よく知られている事ですが今見ている光は今ではなく少しの過去から遠いか過去です。
俺が今日、見た淡路島の景色は今の淡路島の景色ではなく、少し過去の淡路島の景色と置き換えて考えてみると少しこの街の見えたかが変わってきます。今見えるものは過去に誰かが作ったものであり、自分自身のものではない、だから今自分が携わるものが少し先の未来から見える今になる。要は、自分の行動が過去に影響することはなく、少しだけ先の未来に影響するという事です。
なんだか分かりにくいですね。日常に置き換えてみましょう。
先日、妻(よっちゃん)とBuono!と神戸にいました。お腹が空きよっちゃんがインスタで上のような言葉を投稿しました、すると、少し先の未来は自分たちが思ってもいない結果となりました。神戸でお腹が空いた時に、数時間先の未来全く想像していません。それどころかこの投稿をする15分前は淡路島に帰ろうとしていました。それから1時間後には苦楽園にいました。
これでも分かりづらいですね。要は5分前に何かしていたかとか何を考えていたとかそんな事は全て不確かな記憶の可能性があるという事です。そして5分先に何が起こるかは今何をしたかに大きく関わるという事です。もっと言えば5分の、さらに5分前、その5分前、その積み重ねが過去ですが、人の記憶は曖昧で1分前に自分が何を考えていたかも曖昧な事がよくあります。
人は過去を生きれない、未来も生きれない、今を生きる。だらだらなんだか分かりにくい事を書きましたが、人は暮らしの中で悩む時もなんだからだらだら根拠の曖昧な過去に悩み、まだ訪れていない過去に悩む事が多いように感じます。今日はいろいろ書きたい事があったので、乱文ですが「いつも!」と言われそうですが、最近Buono!を見ていて感じるところがあります。
「今を全力で!」
今日のブログはここ最近書きたい事をだらだら書いてみました。だから今日のブログを掘り下げて少しづつ、本音を交えつつタイトルわけをして書いていきます。
20代の頃に読んだ本ですが、くじけないとは長く生きる自分自身への励ましかと感じます。時の経過が長ければ長いほど、過去の時間も長くなります。その中に「忘れる」を言う詩があります。是非、読んでみて下さい。